新熊野学講座「熊野にあった鉱山の歴史」

講座・講演

開催日 令和8年7月26日(日)
時間 午後1時30分~3時30分
場所 展示棟 映像ホール
参加料・入場料 無料
定員 80名(要申込、先着順)
募集受付期間 6月25日(木)~7月25日(土)午後5時まで
講師 堀 誠 氏(熊野市教育委員会 熊野市紀和鉱山資料館)
対象 一般

 熊野市の紀和町にあった鉱山は、奈良時代から採掘されていたと伝えられ、東大寺の大仏建立にも紀和の銅が使われたといわれています。
 江戸時代には、金・銀・銅の需要が大いに増加したことと採掘・精錬技術の進歩によって全国的に鉱山開発が盛んとなり、これを背景とした紀州鉱山は、元和年間(1615~1624年)頃から和歌山藩直営で銅の採鉱を始め、明治時代初めに廃絶しました。
 紀州鉱山のひとつである楊枝川右岸の水車谷鉱山跡には、江戸時代中期から後期にかけて栄えた鉱山跡があり、鉱石を焼いて溶鉱するために石と粘土で固めた竈(かまど)跡、採掘の坑口跡や多量に廃棄された銅滓(どうさい)跡、役所跡や番所跡と伝承される石垣で区画された跡などが所在しています。墓地や住居跡などもあり、文化・文政・天保年間の鉱山の最盛期を迎えたと考えられています。保存状態が良好な銅精錬用竈跡や、鉱山での生活を伝える屋敷跡地や石造物などが数多く残された産業遺跡として高く評価されています。
 昭和9年には、民間の会社が鉱山を買収し運営しました。この時から紀和町の鉱山を「紀州鉱山」と呼ぶようになりました。昭和14年に完成した選鉱場は、現在も現地でひときわ目をひく建造物で、「不夜城」と呼ばれ昭和53年の閉山まで1日も電気を落とすことなく動き続けたそうです。選鉱場完成当時の選鉱処理量は1日1000トンで東洋一といわれていたそうです。鉱山は昭和53年に閉山しました。
 そのような歴史を持つ熊野の鉱山の歴史を、熊野市教育委員会で紀和鉱山資料館に勤務されている堀誠氏をお迎えしご講演いただきます。

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