土井幹夫氏
2025年5月25日
企画展の見どころ

企画展「本草学者がみた熊野」では尾鷲市指定有形文化財の中村山土井家文庫から本草学関連の資料を多数お借りしています。中村山土井家文庫は中村山土井家の当主であった土井幹夫氏の蔵書などです。『重訂本草綱目啓蒙』をはじめ、本草学の貴重な資料を多数所蔵されていました。幹夫氏が集めたのではないかなと思います。
林業家であるためか、幹夫氏は本草学、そして植物学などの自然科学に大いに興味関心があったとみられます。文庫には「大日本山林会」「大日本農会」「大日本水産会」の会誌がかなりたくさんあります。また、田中芳男などとも交流があったようです。田中芳男のような著名な研究者だけでなく、今回展示しているように、本草学研究グループ「交友社」とも関わりがあったとみられます。
交友社は明治時代に北勢で活動していた本草学研究グループで、鎌井松石や丹波修治が結成しました。交友社は「博物会」を毎年開催しており、北勢地域の本草学者や一般人まで、様々なものを出品していました。この出品目録を、中村山土井家文庫からお借りしています。文庫にはあといくつか出品目録があるので、幹夫氏と交友社はなんらかの交流があったとみられます。今回お借りしたのは第八回博物会出品目録で、幹夫氏が何か出品していないか確認してみましたが、残念ながら名前はなく、出品していないようでした。しかし、出品目録がいくつかあるということは、博物会に見学に行ったこともあるのかもしれません。
また、明治22(1889)年に出版された『三重県紀伊国北牟婁郡地誌』では、幹夫氏が尾鷲に「私設植物試験場」を作っていたということが書いてありました。幹夫氏は「物産蕃殖」を志し、博覧会や共進会などで賞を数回受けたことがあり、ついに明治17(1884)年にこの植物試験場を設置しました。幹夫氏はここで種苗を育て、これを広く有志の人に分けて、公益を生み出そうとしていました。種苗は、三重県や東京三田育種場、東京や摂州和州尾州(大阪奈良愛知)の殖産家に頼んで入手し、試験場で栽培する種類が今はとても多くなっているとのことでした。


野地義智 著『三重県紀伊国北牟婁郡地誌』,野地義智,明22.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765947 (参照 2025-05-25)
このように、種苗を育てる試験場を作り、作った種苗を広く人々に分けるなど、熱心に殖産に取り組み、公共の利益を生み出そうとしていたことがわかります。種苗も他県にまで求めに行くことからも、様々な人々と関わりがあったと考えられます。また、種苗を育てるには、農学などの知識が必要かと思うので、本草学などに関心を持つことは自然なことだったのではないかなと思います。
以上、土井幹夫氏と本草学とのかかわりについてでした。
お読みいただきありがとうございました。
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