江戸時代のガイドブックから
2023年11月15日
その他
企画展「伊勢路の石仏と道標」で道標をいろいろ調査しました。伊勢路沿いにある道標は、「くまの道」「なち山道」「いせ道」と道案内していることが多いように感じます。当然ですが、「熊野古道」や「伊勢路」と記す道標はありませんでした。また、東紀州地域内の道標限定ですが、「紀州街道」「熊野街道」などと記すものもありませんでした。こうしたことから、江戸時代は熊野古道伊勢路のことを地元の人々や旅人は、どのように呼称していたのだろうか、と考えたのですが結論は出ていません。多くの道標にあるように「くまの道」と呼んでいたのかもしれませんが、単に「熊野へ向かう道」という意味で「くまの道」と書いているだけかもしれません。
文献資料から探ってみます。まず道中案内記を少しあたってみました。江戸時代のガイドブックです。現代ではガイドブックは気軽に買えるものだと思いますが、当時としては少しお高めな本だったようです。
こちらは「西国順礼道中細見大全」というガイドブックです。当時のガイドブックでは一番詳しく情報が書かれたものですが、1行目に「○八鬼山越熊野道」と書かれています。
こちらは「順礼道中記」というガイドブックです。「やき山ごへじゆんれい道」とあります。
続いて「西国順礼細見記」というガイドブックでは「○八鬼山越」と書いてあります。
こちらは「西国順礼道中記」というガイドブックです。このガイドブックは旅籠か旅籠組合が出版したとみられるガイドブックで顧客に無料で配布していた非売品です。こちらは「●八鬼山越熊野道」と書いてあります。
こちらは「西国順礼道中杖」というガイドブックです。「西国順礼八鬼山越道」となっています。
最後に「西国順礼旅便利」というガイドブックです。こちらは明治になってからのものですが、「西国じゆんれいやき山ごへ(西国順礼八鬼山越え)」と書いてあります。
まとめると、
西国順礼道中細見大全「八鬼山越熊野道」
順礼道中記「やき山ごへじゆんれい道」
西国順礼細見記「八鬼山越」
西国順礼道中記「八鬼山越熊野道」
西国順礼道中杖「西国順礼八鬼山越道」
西国順礼旅便利「西国じゆんれいやき山ごへ」
となります。全てのガイドブックで「八鬼山越」は必ず入っています。その他は「熊野道」か「(西国)順礼(道)」のどちらかになります。「熊野」と「順礼」どちらとも名前に入っているものはありませんでした。
ガイドブック上では、「八鬼山」がかなり象徴的な場所とされていることがわかります。一方で、「熊野」という地名は必ずしも入っておらず、「(西国)順礼」の道である、ということがわかるような名前になっています。ガイドブックを買うのは西国巡礼をする人です。「順礼」の道であることがわかるように書くことが重要だったのでしょう。
以上のことから、ガイドブックを書いた人やガイドブックを買った旅人・巡礼者は、熊野古道伊勢路を「八鬼山越」に象徴される「巡礼の道」だったことがわかる名前で認識していたと考えられます。これは地元での呼び名とは異なるものではないかと思います。他の文献資料を調べ、地元での呼び方も確認したいです。
以上、難しい話だったと思いますが、ガイドブックからみる江戸時代の熊野古道伊勢路の名前でした。お読みいただきありがとうございました。
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