大福日記帳

2022年7月30日

その他

現在ロビー展で展示している道中日記『大福日記帳』について、パネルの内容以外で、気になったことを書きたいと思います。『大福日記帳』とは文久2年(1862)に現在の福島県から旅をした橋畑定次郎・多蔵という人物の道中日記で、熊野古道伊勢路を歩いています。

一行は栃原で「同(2月)廿六日夕泊り」として、「岡嶋屋甚兵衛」に弐百八拾四文(284文)で宿泊しています。岡嶋屋甚兵衛は現在も営業されている岡島屋様と関係ある旅籠だと思います。注目すべきは岡嶋屋甚兵衛の名前の上に書いてある「浪花講」です。この「浪花講」とは旅宿組合だと思われます。

旅宿組合「浪花講」とは江戸時代後期(文化元年頃、19世紀初め)に大坂の松屋源助が発起人となり結成された旅宿組合です。当時、街道沿いの宿では、ぼったくりなど風紀の乱れた宿が目立っていました。そこで松屋源助らは優良な宿を選び、浪花講を結成し、加盟した宿には浪花講の看板を掲げさせ、旅行者には鑑札を持たせ宿泊の際に提示させました。また、浪花講は加盟した宿の一覧とガイドブックを兼ねた「定宿帳」というものを発行していました。主要な街道沿いの宿の名前が宿場ごとにずらっと書いてあります。しかし、この「定宿帳」には熊野古道伊勢路沿いの宿は、私が確認した限り一軒もありません。熊野古道伊勢路は田丸(現玉城町)以降の地名や距離の案内はありますが、宿の名前は全く書かれていないのです。このことから、熊野古道伊勢路沿いには浪花講に加盟していた宿はなかったと考えられます。

しかし、『大福日記帳』の記述を見ると、岡嶋屋甚兵衛は浪花講に加盟した宿だったということになります。『大福日記帳』では浪花講に加盟している宿に宿泊した場合、宿名の上などに「浪花講」と書いてあります。例えば保土ヶ谷の「藤屋四郎兵衛」や沼津の「元田屋伊右衛門」などには「浪花講」と書いてありました。一行は岡嶋屋甚兵衛を合わせて13泊で浪花講加盟の宿に宿泊しており、上に挙げた保土ヶ谷や沼津の宿など、浪花講と書かれた宿には定宿帳に名前のある宿が多くあります。橋畑一行は確かに浪花講加盟の宿に宿泊していたといえると思います。よって岡嶋屋甚兵衛も浪花講加盟の宿だ、と言いたいところですが、定宿帳で確認できていない限りなんともいえません。なんともいえないので、今回の展示では紹介しませんでした。定宿帳で熊野古道伊勢路の宿の名前があるものをご存知の方はぜひ教えていただきたいです。

以上、大福日記帳についてでした。長文失礼しました。

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