明治9年の道中日記

2022年12月30日

企画展の見どころ

 11月26日(土)から1月15日(日)まで、特別展示室企画展「古文書講座成果展示」を開催しています。今年度で8年目となる古文書講座で学習してきた古文書や、江戸時代のお金やそろばん、ハンコ、鏡など昔の道具を展示しています。

 展示担当職員のおすすめは、濵中仙右衛門という人が明治9(1876)年に書いた道中日記です。今年(2022年)から146年前の年末年始に起こった大騒動が記されています。長くなりますが、内容を少し解説したいと思います。

表紙です。日付は「九年 十一月五日」と書いてあります。


 濵中仙右衛門は古文書講座講師で尾鷲古文書の会会長の濵中良平氏のご先祖にあたります。仙右衛門は賀田(現尾鷲市)に住み林業を営みながら、尾鷲の土井家の手代も務めていました。明治9年11月4日、仙右衛門は賀田を出発し、渡会県庁のあった津に向かいます。目的はおそらく山林係争に関することではないかと考えられますが、日記中には「確認調致ス」などとしか書かれておらず、詳細は不明です。現在の私たちからすれば、もっと詳しく書いてほしいと思うところですが、当時の仙右衛門にとっては書くまでもない、自分も周囲の人も知っていて当然のことだったと思われます。

 県庁で用事を終えた仙右衛門は12月12日の夕方には尾鷲の土井家(日記中では「本店」)へと帰ってきています。その一週間後の12月19日、松阪で「伊勢暴動」が発生します。「伊勢暴動」とは、地租改正に反対する一揆で、全国的にみても最大規模のものでした。教科書にも出てくるのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

 仙右衛門が伊勢暴動の詳細を知るのは二日後の12月21日でした。松島(現紀北町)にあった店に滞在しており、そこで引本(現紀北町)の人から聞いた話を次のように書いています。

左のページの最後の一つ書が12月21日の記事です。

  勢地へ大騒動起り松坂三井焼払

  夫ゟ所々大家々々ヲ焼却今午前

  四時頃長しま迠押来り候

  風聞引本浦家々大騒之よし

  本店へ直使者右之趣註進いたス


「伊勢で大騒動が起こり、松阪の三井(三井銀行)が焼き討ちされた。それより、所々の大家を焼き討ちし、午前四時頃、その騒動が長島(現紀北町)まで押し寄せているという噂により、引本浦の家々は大騒ぎしている。このことについて使いを出し、本店へ伝えた。」

 実際、松阪の三井銀行は焼き討ちにあっています。この文章からは、伊勢国内で起こった暴動が紀伊国内にまで波及するのではないか、と大騒ぎになっていたことがわかります。そして同日午後六時頃、渡里(渡利、現紀北町)の小間物屋勇吉という人が帰宅します。勇吉は暴動が起こった12月19日の夜に松阪の駅部田というところに宿泊しており、暴動の様子を詳細に見聞きしていたようです。勇吉からの話を次のように書いています。

  射和相賀之川原ニ凡五六千人も集り

  有之夫ゟ二坂迠之間村々ゟ一戸ニ付

  壱人ツヽ家毎ニ罷出候よし野後之宮

  ニも多人数集り有之併焼却者

  松坂三井□火余り町家七八拾軒も

  焼失外ニ焼却候儀者無之よし

「射和・相可(現松阪市・多気町)の河原におよそ5,6千人もの人々が集まった。それより、荷坂までの間の村々では一戸につき一人ずつ、一揆に参加しているという。野後之宮(瀧原宮)にも多くの人々が集まった。しかし、焼き討ちは松阪の三井と町家7,80軒で、その他はないという。」

 射和・相可の河原に人が集まったのは事実です。しかし、人数は少し盛っているかもしれません。伊勢と紀伊の境である荷坂峠までの村々では、一戸につき一人ずつ一揆に参加している、などとも書かれています。

 この後しばらく仙右衛門は松島に滞在します。四日後の12月25日には渡里の五助という人が帰宅し松島店を訪れ、「被召捕候者多有之よし」と、すでに逮捕された人が大勢いると聞かされます。逐一誰かから暴動の様子を聞いていたようです。

 年が明け、1月3日、引本に官員衆(役人)がやってきて、戸長や組頭などを集めて、今回の暴動が起こったことにより説諭を行ったという話を聞きます。そして翌4日、官員衆が松島にやってきて、店の者が一人出頭するよう言われます。五助は店の者だったようで、出頭したところ、役人から、今回の暴動について書状を出したようだが誰から聞いたのかということを問われます。五助は特定の誰かから聞いたということはなく、ただ人々の風聞を聞いただけだと答えました。この答えで役人は納得したのか、それ以上聞かれることはなかったようです。

 伊勢暴動は三重県だけにとどまらず、愛知県・岐阜県といった周辺地域にも広がります。役人たちにはこれ以上広がらないようにしなければならないという危機感があったと思われます。そのため、暴動の詳細な内容が広がらないよう注意を払い、書状を出したという五助を出頭させたのではないかと考えられます。

 このように、伊勢暴動は暴動が起こった地域だけでなく、その周辺地域にも影響があったことがわかります。伊勢との境に近い地域の人々は、暴動がこちらにも波及するのではないかと騒ぎになっていたことも興味深いです。仙右衛門の道中日記からは、暴動がどうなるのかという切迫感がよく伝わってきます。今から146年前、仙右衛門は騒動の経過を気にしながら、年を越したことだろうと思います。

 以上、長くなりましたが、展示担当職員のおすすめ資料の解説でした。お読みいただきありがとうございました。

今回の展示では、古文書講座講師、尾鷲古文書の会会長の濵中良平様には多大なご協力を賜りました。心より御礼申し上げます。

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