瀧原宮の名木(道中日記から)
2022年8月5日
その他
当センター所蔵の道中日記のうち、慶応3年(1867)に現在の岩手県奥州市から巡礼の旅に出た半治という60代男性の道中日記から、瀧原宮の森の名木について紹介します。瀧原宮周辺の森は現在神域で立ち入ることはできません。しかし、当時は立ち入ることができ、案内人までいたようです。案内人は森にある数々の名木を説明していたとみられ、その説明を記している道中日記もあります。半治の道中日記はそんな道中日記の中でも、名木の説明をかなり詳しく書いている日記の一つです。以下が半治の道中日記のうち、名木の説明の部分です。
此所二十二樹の名木あり
柳弐本間四尺計隔て高サ壱丈計上ニ
れんりの枝あり、鳥井杉弐本鳥
井の如し、災難よけ杉〈此木ニ一心ニねんすれハ、さいなんよける
子持杉〈此木中ゟ子出生の形あり、此木枝をくわいたいの女子用ゆれハ幸あり
杉〈此木本ハ杉一二ノ枝檜むろ中七分すき木末弐分、五よう松なり
夫婦杉〈元壱本ニ而両方当分の二本すぎなり
屏風杉〈元壱本の根ゟ枝さし屏風の如し
杉〈此木壱本ニ而枝七ツ三すぎ四すぎといふ
宝杉〈昔七色の樹なり、今かれてなし
七色の樹
※ゟは「より」と読みます。適宜読点を打っています。
かなりたくさんの名木が書かれています。「災難よけ杉」や「子持杉」などは何らかの御利益があるとされている杉です。他の杉も変わった形のものが多く、何らかの御利益があるとされていたとみられます。また、「れんりの枝」は「連理の枝」で、2本の木の枝がつながったものをいい、吉兆とされます。「五よう松」は「五葉松」だと思います。他の道中日記でも半治とほぼ同じ内容を書いていますが、中には「田虫杉」というひび・あかぎれを治すというかなりピンポイントな御利益のある杉を書いている道中日記もあります。
道中日記の多くは道中案内記(当時のガイドブック)から引き写したとみられる記述があり、半治の道中日記も道中案内記をほぼ丸写ししている箇所が多々みられます。しかし、この瀧原宮の名木については、確認した道中案内記には書かれているものは一つもありません。よって半治は現地での案内をそのまま道中日記に書いたとみられます。書いてある分量が多いので、メモしながら案内人の話を聞いていたのかな…と想像しています。
以上、瀧原宮の名木についてでした。お読みいただきありがとうございました。
Y