町石の拓本

2024年6月30日

企画展の見どころ

 昨日から始まった世界遺産登録20周年記念企画展「熊野古道伊勢路 西国第一の難所 八鬼山越え」では、八鬼山の町石35体の拓本を展示しています。

 今回は、町石の拓本をとった際の様子を紹介します。

 まず、町石(ちょうせき)とは、一町(一丁とも書く、約109m)ごとに建てる道しるべです。三重県指定有形民俗文化財です。

 

 町石といえば、高野山の町石道(ちょういしみち)の町石が有名ですね。町石道の町石は大きな五輪塔の形をしていますが、八鬼山の場合はお地蔵様の形です。戦国時代の天正14(1586)~天正19(1591)年頃に建てられました(本能寺の変後、豊臣秀吉の時代です)。もとはふもとの矢浜付近を基点として50体あったとみられますが、現在は35体が残っています。この35体の拓本を許可を得てとってきました。

 拓本とは、石造物などに紙をあて、墨を打って模様などを写し取ることです。大きく分けると「乾拓」「湿拓」の二つがありますが、今回は「湿拓」でとりました。拓本をとることで、肉眼では見えにくい模様や文字をわかりやすく見ることができます。

 町石は半肉彫という浮き彫りです。横から見るとわかりやすいかと思います。

 今回行なった湿拓は詳しくは「間接湿拓法」といいます。紙を石造物にはりつけ、水でしめらせた後、タンポというもので墨を打ち付ける方法です。この方法だと石造物を汚さずにできます。 間接湿拓法で重要なポイントは、いかに紙にシワを作らず貼りつけるかというところだと個人的に思っています。シワがあると、それがそのまま拓本にも反映されてしまうため、きれいに模様・文字が出ないことが多いです。ただ、町石の場合は、半肉彫で浮き出ているため、シワを作らずに貼りつけるのが難しいです。

 次の写真は町石に紙を貼りつけて水で濡らした状態です。

 スプレーを吹きかけて濡らしています。こんなに濡らして大丈夫かな?というくらい濡らします。少し乾いて元の紙の白さに戻ってきたら、タオルなどを使って紙を石造物にピッタリと貼りつけます。紙を石造物に食い込ませる感じです。ピッタリ貼りつけた様子が次の写真です。

 シワが寄っているのはもちろんですが、完全に破れている箇所があります。今回筆者がとった拓本で破れずにとれたものはほぼなかったと思います。なぜこんなに破れているかというと、やはり半肉彫であることが大きいです。写真でもわかるように、町石で破れやすかった箇所は、①顔の側面、②胴体の側面、③錫杖(右手で持っている棒)でした。この部分は周りよりもかなり浮き出ているため、ぴったり貼りつけようとするとどうしても破れてしまいました。ただ、破れた部分はそれほど重要な箇所ではないため、この辺りの拓本はとりませんでした。むしろこの側面部分まで墨を打つと、光背と地蔵本体の境目がわからなくなるため、きれいに貼りつけたとしても墨は打たない方がいいかなと思います。町石はみんな同じように見えますが、意外と顔や胴体の形、文字など違うところがたくさんあります。そのあたりをわかりやすく展示したかったため、顔や胴体などの模様がよくわかる部分と横に書いてある文字が読めるように、ということを意識して拓本をとりました。完成した様子が次の写真です。

 なんとか形にはなったかな・・・という出来でした。今回展示しているものは全て裏打ちしているため、シワや破れた箇所はわかりにくくなっていると思いますが、シワなどを作らずに紙を貼りつけるコツがあればご教示いただけると幸いです。

 また、町石は外にあるため、苔などが生えているものが多くあります。特に蓮華座(地蔵の下の花の部分)に苔が生えていることが多く、やりにくかったです。もし、自分の家のお墓などの拓本をとりたいという場合は、苔など表面についているものははがした方がよいです。今回は文化財で現状維持のためはがしませんでした。自分以外が所有している石造物などの拓本をとる際は、苔をとってもよいか所有者に確認してください。

 今回は手分けして2日連続で一気にとりました。足は筋肉痛はなかったですが、朝から夕方までずっとタンポでポンポンしていたため右肩から背中のあたりにかけて(利き手は右のため)が翌日痛かったです。少し日を置くべきでした…

 以上、町石の拓本の様子でした。お読みいただきありがとうございました。y

※参考までに、昨年度の企画展で撮影した拓本の動画です↓ よろしければご覧ください。

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