玉城町原の道標
2024年12月11日
その他
この前の休みの日に、玉城町内の熊野古道伊勢路沿いにある石仏・道標を確認してきました。個人的に玉城町原にある道標が特に気になっていたので、今回はこの道標についてご紹介します。
玉城町原の石仏庵を過ぎると、伊勢路は左に折れます(玉城町から出発するなら)。そして県道を渡り、右に曲がる分岐点に下の写真の道標が立っています。
大きな道標と自然石の道標です。大きい方の道標は、正面に「国束寺観音道」と書いてあります。国束寺(くづかじ)は、元は玉城町原の国束山山頂にありましたが、昭和20年代末から30年代初めにふもとの度会町平生に移されました。国束山への参詣道は、原・坂井(度会町)・平生の3ヶ所からの道があり、この道標がある地点は原からの参詣道の起点です。また、造立者の「覺雄」は、19世紀中頃の国束寺の僧侶で、国束寺参詣道の町石の整備や道標の造立に主導的な役割を果たしました。西国巡礼が盛んだった当時、熊野古道伊勢路を歩く西国巡礼の巡礼者にも国束寺へ立ち寄ってもらおうと、覺雄らが主導して国束寺参詣道の起点にこの道標を立てたと考えられます。
大きい方も興味深いのですが、私が気になっていたのは自然石の道標の方です。
玉城町史や解説板には、この道標は右面に「右 くまのみち」と書いてあるとされています。しかし、三重県教育委員会の調査報告書「熊野参詣道伊勢路調査報告書Ⅰ」では、「「右くつかミち」とある」とされています。「くまのみち」と熊野街道(熊野古道伊勢路)を案内しているのか、それとも「くつかみち」と国束寺への参詣道を案内しているのか、意味がだいぶ変わってきます。どちらが正しいのか気になっていたため、今回よく見てきました。
写真で見ると何が書いてあるかさっぱりわからないですが、実物もかなりわかりにくかったです。結論からいうと「くつかミち」が正しいかと思われます。実物だと「右」「く」「ミ」「ち」は比較的簡単に見えたのですが、「く」と「ミ」の間がなかなか見えませんでした。「く」の次が「ま」か「つ」のどちらであるかが分かれば…と思い、色々見たところ「つ」だろうと思いました。現在のひらがなの「つ」ではなく、変体仮名の「つ」で「徒」という字です。「徒」という字はつくりの「走」という字がくずされると、下の部分が省略されて右に一画曲がるだけになります。以下、「徒」の部分を拡大した写真です。
わかりにくい写真になりますが、「徒」は「走」の部分にちょうどコケのようなものが生えていました。「走」の下の部分が省略されて右に曲がっています。おわかりいただけますでしょうか…。「ま」の変体仮名「満」もへんとつくりの左右に分かれる漢字ですが、これはおそらく「徒」だろうと判断しました。よって教育委員会の報告書の「くつかミち」の方が正しいのではないかと考えられます。この道標がある地点が国束寺への参詣道の起点であることからも、「くつかミち」の方が自然かもしれません。
以上、玉城町原の道標についてでした。お読みいただきありがとうございました。
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