三瀬砦跡に行ってきました!

2025年1月7日

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 休みの日に大台町にある三瀬砦跡に行ってきました。大台町三瀬谷といえば北畠氏ですね。三瀬砦跡は北畠氏の家臣である三瀬氏の居城といわれる場所で、県指定史跡です。三瀬砦跡以外にも大台町には三瀬館跡、北畠神社など北畠氏ゆかりの場所が多くあります。三瀬館跡にも行こうと思っていたのですが、時間がなかったので今回は三瀬砦跡をご紹介します。

そもそも北畠氏とは?
 伊勢国司家として、主に南伊勢五郡(一志・飯高・飯野・多気・度会、三重県の中部あたり)を支配していた戦国大名です。南朝方のブレーンとして活躍した、神皇正統記の作者である北畠親房氏の三男・北畠顕能が伊勢国司となり、以降戦国時代に織田家に滅ぼされるまで伊勢国で大きな勢力を保ちました。いわゆる公家大名です。
 永禄12(1569)年大河内城(松阪市)にて織田信長との間で激しい戦闘が行われました(大河内城の戦い)。当時北畠氏の当主は北畠具房でしたが、前当主北畠具教が実権を握っていました。戦いは、北畠氏が降伏して和睦となりましたが、信長の次男信雄を具房の養子とし、具教の娘を婿にするという織田家に有利な条件での和睦でした。その後、具教は出家して大台町三瀬谷の三瀬館に移ります。しかし、天正4(1576)年、信長の命を受けた刺客(藤方朝成、長野左京亮など)の襲撃を受けて、四男・五男やその他家臣とともに暗殺されました。同じ日には田丸城でも次男・三男などが殺害され、北畠氏は織田家に滅ぼされました。

入口

 三瀬砦跡は北畠氏の家臣であった三瀬氏の居城と伝えられ、近くの慶雲寺は三瀬氏の菩提寺として創建されたといわれています。
 三方が川に面した河岸段丘の上に築かれ、東と西に郭が分かれているとのことです。郭の周囲には高さ3mの土塁があります。また、少し高台になっている場所に、現在は八幡社が祀られています。

土塁
八幡社

 筆者は山城や城跡については全くの初心者ですが、初心者でもわかりやすいくらいに立派な土塁がありました。写真ではあまり伝わらないかもしれませんが…。東西に郭があるとのことで、八幡社の向こうにも郭が続いているようでしたが、その辺はよくわかりませんでした。また空堀もあるそうですが、それもよくわからず…。事前に縄張図とかがあれば勉強しておくべきだったと少し後悔しました。しかし、素人目に見ても分かりやすい土塁があり、かつ綺麗に管理されていて、初心者にうってつけの城跡ではないかと思いました。アクセスもよく、熊野街道沿いにあります。

八幡社から入口方面を見る
井戸もありました
八幡社の奥。まだ土塁が続いているような?

 以上、三瀬砦跡についてでした。お読みいただきありがとうございました。

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