三瀬坂峠の宝暦地蔵

2025年1月23日

その他

 大紀町の三瀬坂峠には宝暦6(1756)年に建立された地蔵が祀られています。嘉永6(1853)年に刊行された『西国三十三所名所図会』にも描かれています。

石室の中に安置されています。
『西国三十三所名所図会』より「三瀬嶺」。石室の中に地蔵が小さく描かれています。

 この地蔵の大きな特徴の一つとしては施主に「京村崎野大法寺 清祐院」という京都の村崎野=紫野の寺院が含まれていることです。現在の京都市北区、船岡山周辺の大徳寺などがある地域です。
 実は熊野古道伊勢路には三瀬坂峠以外にも曽根次郎坂太郎坂(甫母峠)にも紫野の寺院が建立した地蔵が祀られています。こちらは「京紫大徳寺」とあるので、有名な大徳寺のことかと思います。

甫母峠の地蔵

 しかし、三瀬坂峠の「大法寺 清祐院」が現在の紫野には存在しないようです。名前からして「清祐院」は「大法寺」の塔頭のような気もするのですが、よくわかりません。先行研究や報告書を見ても「大法寺 清祐院」について特に詳しく触れているわけではないので、それほど重要ではないのかもしれません。一応、ネットで公開されている京都の古地図を見てみましたが、見つけられませんでした。しかし、紫野の範囲から外れるのかもしれませんが、「大法寺」というお寺は見つけました。

「妙願寺」の下あたりに「大法寺」とあります。

『府中洛外町々小名/大成京細見繪圖』(清光山西厳寺所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100355510
2025年1月23日閲覧

 ただ、どうやらこの「大法寺」は現在の「本法寺」(日蓮宗の本山)のことのようです。他の古地図でも「本法寺」と書いてあったり「大法寺」と書いてあったり、表記がバラバラです。詳しいことをご存知の方はぜひ教えていただけるとうれしいです。

 建立した理由など、わからないことが多いですが、宝暦年間に京都紫野の寺院が熊野古道伊勢路の峠に地蔵を建立した、ということだけは確かです。他地域との交流がよくわかる石仏だと思います。西国巡礼の巡礼者は熊野古道伊勢路を通った後、札所がある京都には必ず訪れるので巡礼者に何かアピールしたかったのかもしれません。

 以上、三瀬坂峠の宝暦地蔵についてでした。

お読みいただきありがとうございました。

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