本草綱目啓蒙

2025年5月6日

企画展の見どころ

 企画展「本草学者がみた熊野」にて展示中の『本草綱目啓蒙』は、江戸時代最大の本草学者である小野蘭山の講義録です。文章のみで絵がなく、とっつきにくい印象があるかもしれませんが、楷書で書かれているため、なんとか読めるのではないかと思います。

 小野蘭山は、晩年ともいえる時期に人生最大の転換点を迎えた人です。京都で生まれた小野蘭山は、京都で本草学を研究し続けていましたが、71歳の時に幕府の要請により、幕府の医学館で本草学の講義をするため、江戸に移り住みました。この講義録が『本草綱目啓蒙』です。71歳は当時としてはとても高齢です。さらに73~77歳の時には幕府の命令により、全国各地に採薬(植物採集)の旅に出かけました。この時熊野にも訪れています。82歳で亡くなりますが、死の直前まで精力的に研究を続けていたといいます。小野蘭山の人生を見てみると、人生いつ転機が訪れるかわからないものだなと思います。

 『本草綱目啓蒙』で読みやすいと思われる箇所は、見出しの次にある、方言・古名をまとめた項目です。展示でも解説していますが、例えば「桔梗」では、「桔梗」という見出しの次に「アリノヒフキ」などカタカナで書かれた部分が続いています。これが「桔梗」の方言や古名をまとめた部分です。1行目の「アリノヒフキ」の下には少し小さな文字で「和名鈔」と書いてあります。この小さな文字は出典を表します。「和名鈔」は「倭名類聚抄」という平安時代の辞書で、ここに「アリノヒフキ」と載っていたようです。つまり、「アリノヒフキ」は「桔梗」の古名(古い名前)にあたります。方言の場合は3行目下の「クハンサウ」に「信州」とあるように国名などが書かれています。

 このように、『本草綱目啓蒙』は動植鉱物の形態など自然科学的な内容だけでなく、方言・古名なども精力的に調べて掲載しています。本草学においては「名前」を研究することも重要だったのです。ただ、『本草綱目啓蒙』では、なぜ「桔梗」を「アリノヒフキ」というのか、「アリノヒフキ」の由来は何かなど、詳しいことには踏み込んでいません。個人的には由来なども研究してほしかったなと思います。

 『本草綱目啓蒙』はデジタルアーカイブで誰でも読むことができます。本展で実物を見た後は、ぜひそちらも検索して読んでみてください!

以上、『本草綱目啓蒙』についてでした。お読みいただきありがとうございました。

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