水谷豊文の熊野採薬記

2025年6月8日

企画展の見どころ

 尾張の本草学者グループ「嘗百社」の中心であった水谷豊文は、文化13(1816)年5月~6月に、東紀州地域へ採薬(薬用となる植物を採集すること、植物採集)に訪れました。この時の記録が『勢志紀熊野採薬記』(国立国会図書館蔵)で、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。また、翻刻したものが『三重県史 別編 自然』にあります。

「いただき」の絵が描いてあります。

水谷豊文『熊野採薬記』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2537483 (参照 2025-06-08)

 水谷豊文は、伊勢から志摩を経て熊野街道を通り、賀田(現尾鷲市賀田町)まで行くと、賀田から引き返して名古屋へ帰りました。水谷豊文が賀田から引き返した理由には、何日間か雨が降り続き、賀田での滞在が長くなってしまったことがあるとみられます。賀田では周辺の山々、曽根・梶賀にまで足をのばし、様々な植物を採集しています。そして、植物一つ一つの方言を記録しています。

賀田の周りの山々で採集した植物とその方言

 例えば「ヒキヲコシ」の方言は「ニガクサ」と書いてあります。「ヒキヲコシ」は「ヒキオコシ」のことで薬用植物です。とても苦い薬になるそうです。賀田ではヒキオコシを薬としてよく使っていて、それがとても苦いため、名前も「ニガクサ」と呼ばれるようになったのかもしれません。

 他にも「蛇苺」は「イヌイチゴ」というそうです。なぜ「イヌ」なのかはわかりません。このように、方言名はかなりの労力で調べ上げていますが、なぜそのような方言になったのか、ということまでは追及していません。それよりも「物」と「名前」がどう対応しているのか、ということの方が重要だったと思われます。例えば賀田の人が他の地域に行った時、体調が悪くなり「ニガクサ」が欲しいと言っても、他の地域の人は「ニガクサ」が何かはわかりません。本草学が特に研究対象としていた薬用植物の場合、方言が通じず適切な処置ができないという状況は、致命的なことになりえます。だからこそ、「ヒキオコシ」=「ニガクサ」など、「物」と「名前」をきちんと把握して整理する必要があったと思われます。

 以上、水谷豊文の『勢志紀熊野採薬記』でした。『三重県史 別編 自然』は図書資料室にあります。ぜひ見てみてください!

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