採薬の旅と巡礼の旅の違い

2025年6月22日

企画展の見どころ

 企画展「本草学者がみた熊野」では水谷豊文や小野蘭山の東紀州地域での採薬について資料を展示、解説しています。本草学に興味がある方は、本草学者がこの地域でどんな植物を採集したのかに興味があると思うのですが、筆者は熊野古道伊勢路を歩いた巡礼者の道中日記を色々読んでいるため、巡礼を目的としていない人の旅、今回でいえば採薬の旅が巡礼の旅とどんな違いがあるのか気になっていました。ほぼ筆者しか興味がないと思うので、展示では触れていませんが、せっかくなのでここで少し書いてみたいと思います。

 まず、採薬の旅と巡礼の旅の一番の違いはその目的です。採薬の旅は、その地域の植物・動物・鉱物、さらには風習まで調査することが目的です。一方、巡礼の旅は、熊野三山や西国巡礼が目的です。道中の植物・動物・鉱物について詳しく観察したり採集したりすることはないでしょう。

 そして、旅のペースも異なります。巡礼者は伊勢から新宮まで4泊5日で歩くことが多いです。おそらく雨の日もあったと思われますが、よっぽど大荒れの天気でなければ、旅を続けています。熊野古道伊勢路沿いの浦村に数日間逗留するということはあまりありません。一方で、採薬の旅は雨で同じ場所に数日間逗留することがありました。水谷豊文は尾鷲・賀田に雨により逗留しています。小野蘭山も賀田に3日間、雨により逗留しました。また、小野蘭山の場合、現在の熊野市内にしばらくとどまるなど、何らかの都合でほぼ移動せず採薬しています。

 採薬の場所も特徴があります。道すがら植物・動物・鉱物を採集するというより、ある場所を拠点に周辺の山々・海辺などをまわり採薬を行うことが多いです。水谷豊文も小野蘭山も、尾鷲に数日とどまり、周辺の山々へ採薬に出かけています。水谷豊文は賀田に逗留中、曽根や梶賀にも足を延ばしていました。昼間は周辺の山々をまわり、夕方帰ってきたら採集してきたものの整理などをしていたのではと思います。ただ、こんなに一人で採集できるのかな?という量なので、地元の人などの協力者も何人かいたと思われます。

 一方で、採薬以外の日は「移動日」にしているようでした。移動日は何も採集しないというわけではなく、道中、目についた植物・動物・鉱物などを観察・採集していたとみられます。この「移動日」の移動距離は、巡礼の旅とほぼ同じです。例えば水谷豊文は一日で長島から尾鷲まで移動しています。小野蘭山も当時70代ですが、1日で尾鷲から長島、長島から野尻(滝原)、野尻から田丸まで歩いています。このペースは巡礼の旅と変わりません。採薬で山の中を歩く一方で、移動日は一般人と同じペースで歩くので、本草学者はものすごい体力だったのではと思います。小野蘭山はもしかしたら駕籠に乗っていたかもしれませんが、やはり年齢と比べて元気な人だったことは間違いないでしょう。

小野蘭山『伊勢紀州採薬記』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2537291 (参照 2025-06-22)

水谷豊文『熊野採薬記』,写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2537483 (参照 2025-06-22)

以上、採薬の旅と巡礼の旅の違いについてでした。お読みいただきありがとうございました。

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