ロビー展「先人たちの軌跡-上北山村と尾鷲町を繋いだ生活道と鉄索-」

ロビー展示

過去の企画展示

開催期間 令和5年7月8日(土)~8月27日(日)
休館期間 会期中無休
開催場所 展示棟ホール
入場料 入場無料

 尾鷲林業の発展を担ったひとつとして当地方独特の運材方法があげられる。それは索道や軌道、インクラインといったリレー方式で運ぶ方法が用いられたことだ。三重県南東部は紀伊山地の山々が沿岸部にまで迫り、その多くは入り混じった複雑な地形、深く刻み込まれた山間の谷で形成されるため、馬や牛などを利用しての運材や木馬(きんま)などの人力輸送には限界があった。明治末期以降、大量輸送の時代の到来とともに、当地方の林業家土井家が架空索道(鉄索)を導入し、その後、トラック輸送に代わる昭和30年代まで4路線が開業し、軌道と連繋して運材された。
  運搬路線の発着駅として栄えた三重県尾鷲と奈良県上北山村にまたがる又口地区は、町と村を繋ぐ生活道の中継地区としても重要な役割を担い、製材所や商店、私立学校が出来るなど林業従事者がおよそ600人常住した。
 本展では、土井家や高木家など地域の林業家が出資して敷設した柳ノ谷(りゅうのたに)索道軌道や北山索道について、紀伊山地の急峻な地形をいかに克服し、かつ上手く利用してきたのか搬送ルートや接続駅などから解き明かすとともに、現在でも奥山に残存する村と町の往来に使用した生活道について、我々の記憶から消えようとしている今、V字谷に刻んだ当時の職人の知恵と工夫、技術の数々を写真や解説パネルで紹介する。

【展示構成】
・上北山村と尾鷲町を結んだ生活道について
 昭和32(1957)年、水力発電用のダム湖出現と資材運搬のための道路が完成し、村と町を繋ぐ生活道が分断された。人々の移動が徒歩から車へと移行したことにより、すべての生活道が廃れていった。急峻な地形に刻まれた各峠道(木組峠道、出口峠道、アゲグチ峠道、荒谷峠道、サンギリ峠道)について、開削した当時の職人の知恵と工夫、技術の数々について紹介する。

・柳ノ谷索道軌道と又口
 明治44(1911)年、尾鷲の林業家土井家が当地方で最初に敷設した柳ノ谷索道軌道について、起点となる駅舎跡や中継駅、そして運材ルートなどを紹介し、先人たちがいかに紀伊山地の急峻な地形を克服して運搬したのか、踏査結果から考察する。

・北山索道の経路と駅舎
 奈良県上北山村の白川又川山域で伐採された木材や製材品などを尾鷲湾まで運ぶために敷設された北山索道は、大正8(1919)年に運転を開始し、当地方では最長の18.7㎞にもなる。今まで謎に包まれていたキヨラ谷駅跡やオコ谷屈曲支柱跡など、最新の調査結果を明らかにする。

【展示資料一覧(予定)】

 資料名所 蔵備 考
1北山索道搬器三重県立熊野古道センター奈良森林管理署
2自在受索滑車三重県立熊野古道センター奈良森林管理署
3古和谷駅舎跡遺産物12点三重県立熊野古道センター 
4北山索道支柱図面2点高木勇男氏青焼き図
5北山索道入札資料 3点高木勇男氏 
6北山索道古写真7点高木勇男氏絵ハガキ
7架空索道/斜降索道  尾鷲工作所発行冊子三重県立熊野古道センター 
8型録 紀州福定式 冊子三重県立熊野古道センター 
9尾鷲池原間軌條敷設工事計画踏査図南土井家青焼き図
10尾鷲町市街図 三重県立熊野古道センター昭和初期発行
11三国木材と北山索道 絵ハガキ 7点尾鷲市教育委員会生涯学習課郷土室 
12旧尾鷲組内之図面南土井家 
13郷土教育資料 2冊尾鷲市立尾鷲小学校昭和3年刊
14国土地理院発行地形図3点三重県立熊野古道センター大正2年、昭和22年、昭和35年
15映像(8月5日公開予定)三重県立熊野古道センター約30分

関連イベント

新熊野学講座「先人たちの軌跡~上北山村と尾鷲町を結んだ生活道と鉄索」※8月5日(土)開催https://kumanokodocenter.com/events/230805-1/

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