山城の縄張図
2024年1月7日
1月20日(土)に講演会「熊野の城~思いのほか多かった熊野の城跡~」にむけて、お城の楽しみ方の一例をご紹介します。講演会のお申し込みはまだ受け付けておりますので、センターへお電話にてお申し込みください。
上記は縄張図(なわばりず)と呼ばれる地図で、縄張りとはお城の施設全体の範囲のことを言います。つまりお城全体を図面に書き起こした、城に興味があるものにとっては宝の地図のことです。個人的には映画に出てくる宝の地図に描き方が似ている気もしています。この地図は山城を見学するために現地へ行く場合は必ず持っていくべきものの一つです。この地図が無かったら山の中で何が何やらわからず藪と格闘することになります。
縄張図は城郭の研究者や興味のある個人が自ら製作することが多い図面です。左が昔の研究者が作成したもので右は比較的新しい研究者が作成したものです。作成する人によって表記がバラバラでしたが、だんだん表記が統一されてきており、現在は右の図が一般的です。それでも、作成する人の解釈や表現によって個性が出たりするところが面白いところです。縄張図の作成自体が趣味という方もおられます。
縄張図の見方を少しだけ紹介します。上記は同じ場所をアップにしたものです。新旧の比較も出来ますが、右の方が現在一般的によく使われますので、右の図を解説します。まず、ケバケバした線は、根本が太く先が細くなって毛のようになっています。毛根から毛先に向かって斜面が降(くだ)っていますよという記号です。毛根の方の実線は斜面の始まりの角を示し、毛先にある破線は斜面の終わりを示しています。よって、実線で囲まれた場所は、頂上の平坦部となります。これを踏まえ、次の図を見てください。
わざとややこしい図を用意しました。左は、Ⅰの周りを内側に土塁、その外側に堀を持っている城の縄張図です。右は、中央のⅢにコの字状に土塁があるものの少なく、代わりに堀が二重になっています。ぱっと見は同じように見える城ですが、実線と破線を見極めて、ケバケバの方向で地形が見えてきませんか?
色々な縄張り図をあげておきました。ご興味があるようでしたら、特定のお城の名前の後に『縄張図』を付けてインターネットで検索すると画像が出てきます。個人で作っている方が多いので、わりと目的のものが見つかります。自分で縄張り図を作成する楽しみと検索した縄張図を持って探検する楽しみがあります。
最後に少し変わった縄張り図をご紹介します。左は考古学に携わっている研究者が作成したであろう縄張図です。斜面の表現が、発掘調査報告書の表現と同じです。長い線と短い線で表記します。短い線がくっついている実線が斜面の上です。本来は斜面の下は細い実線で表現しますが等高線があるため破線にしたと思われます。
真ん中は、現地測量や発掘調査によってほぼ実寸が計測された縄張図です。大規模な調査が必要なため、実寸の縄張図はなかなかお目にかかれません。ちなみにこの縄張図は赤木城です。
最後の右の図は近世(江戸時代)のお城の縄張図です。当時の城の絵図が現存しているため、現代に残る街並みに重ねて縄張図を作成しています。
縄張図の作成は、失われたお城をよみがえらせる最も簡単な手法です。手軽にとは言いませんが、そう難しいものでもないのでお城が好きな方なら始めてみてはいかがでしょうか。