弁才船(べざいせん)
2025年7月23日
その他
常設展示室にひっそりとあるこの船は「弁才船(べざいせん)」という和船です。

江戸時代から明治にかけて日本中で使われた大きな船です。「千石」も積めるような大きな船が多く造られるようになったため「千石船(せんごくぶね)」とも言われます。江戸時代、上方~江戸を結ぶ航路にあたる熊野灘には、多くの「弁才船」が行き交いました。「菱垣廻船」「樽廻船」など聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
尾鷲をはじめ東紀州地域では、田畑をつくる土地が少ないため、米を他地域から移入する必要がありました。そのため、船で米を大量に運んできました。陸路だとどうしても運べる量は限られてきます。船と交易はこの地域になくてはならないものでした。
尾鷲からは木材や炭などをのせて各地に運んでいました。尾鷲は江戸の材木問屋などとのつながりが強かったようです。図書資料室にある尾鷲古文書の会編『尾鷲賀田 浜中仙右衛門幕末江戸道中・滞在日記』は、尾鷲の賀田で林業を営む浜中仙右衛門が書いた道中日記を翻刻・解説した資料です。仙右衛門が江戸に出張して、江戸の材木問屋と様々なやりとりをしている様子が伺えます。ちょうど幕末なので、例えば「桜田門外の変」についてリアルタイムな情報を書いているなど、材木の商取引以外のことでも面白い記述がたくさんあります。ぜひ読んでみてください👍
お読みいただきありがとうございました。
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