弥九郎と弥十郎

2025年11月26日

企画展の見どころ

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 熊野古道センターでは現在、ニホンオオカミと紀州犬にスポットを当てた企画展「ニホンオオカミの記憶 紀州犬の今」を開催しています。今日はその展示の中から、東紀州の有名な昔話である峰弥九郎とマンの話についてブログを書かせていただきます。この昔話を聞いたことがないという方もいらっしゃると思いますので、以下にその昔話の内容を記載します。

熊野古道センター常設展示の昔話ブースで見られる、フワフワのマン

熊野の奥山にある阪本村に、峰弥九郎という猟師が住んでいました。弥九郎は鉄砲の名手で、戦が起こった時には愛用の火縄銃を持って尾呂志の殿様の元へ駆けつけ、何度も手柄を立てた勇敢な人物でした。ある日、弥九郎が新宮に行った帰り道、引作の辺りで一服していると、一匹のオオカミが苦しそうに近づいてきました。
「どうした、苦しそうじゃのう。ちょっと見せてみろ…おお、かわいそうに。大きな骨がささっとるぞ。」
弥九郎は、オオカミの口の中に手を入れ、さっと骨を抜いてやりました。助けられたオオカミは、トボトボと弥九郎の後を付いてきます。
「どうした、もうええから帰れ。礼をしたいというのなら、今度生まれた子を一匹わしにくれるか」
弥九郎はそう言ってオオカミを返し、家路を急ぎました。

それから半年ほど経った朝、弥九郎が家の戸をあけると、そこには一匹の仔犬がちょこんと座っていました。
「さては、あの時のオオカミが約束を守ってこの子をよこしたんか」
弥九郎はたいそう喜び、仔犬を「マン」と名付け、その日から狩りの技を仕込み始めます。その甲斐あってか、マンは大人になるとシカやイノシシを相手に見事な働きを見せるようになりました。その腕前は弥九郎も舌を巻くほどで、辺りでもその名が知られるようになりました。

ある日、新宮のお殿様の前で大きな狩りが行われ、弥九郎とマンが参加した時のことです。山の上で休んでいたお殿様に向かって、一頭の手負いの猪が一直線に突き進んできました。お供の者たちが慌てふためく中、飛び出したのはマンでした。猪の大きな体にひるむことなく、素早く喉に飛びかかり、ひと噛みで仕留めてしまったのです。危ないところを助けられたお殿様はたいそう感心し、弥九郎とマンにたくさんの褒美を与えました。その後も弥九郎とマンは、暇さえあれば狩りを楽しんでいたそうです。

そんなある日の夜、近くに住んでいた叔母が弥九郎を訪ねてきて、こう言いました。
「弥九郎よ、お前が可愛がっているマンはオオカミの子だというが、用心した方がええ。オオカミはどれだけ世話をしても、生き物を千匹食うと次は飼い主を襲うと言われておるぞ。」
外でこの話を聞いていたマンは、悲しそうに三回遠吠えをすると、姿を消してしまいました。翌朝、マンがいないことに気づいた弥九郎は、必死にあちこち探しまわりましたが、二度とマンに会うことはできませんでした。ただ、夜になると鷲ノ巣山の方から「オオーン」という悲しそうなオオカミの遠吠えが聞こえてきて、阪本の人々は「あれはマンの鳴き声や」と噂をしたそうです。猪猟で有名な紀州犬は、弥九郎が育てたマンの血を引いていると言われています。

 以上が、峰弥九郎とマンの話です。
 人とオオカミの交流を描いた、暖かく、最後は哀愁の残る昔話ですね。私も大好きなお話なのですが、この話でどうしても納得し辛いところがありませんか?

“近くに住んでいた叔母が弥九郎を訪ねてきて、こう言いました。「弥九郎よ、お前が可愛がっているマンはオオカミの子だというが、用心した方がええ。オオカミはどれだけ世話をしても、生き物を千匹食うと次は飼い主を襲うと言われておるぞ。」外でこの話を聞いていたマンは、悲しそうに三回遠吠えをすると、姿を消してしまいました。“

↑ここですね。この話を聞いてモヤッとする部分を挙げるとすると、多くの方がこのくだりを挙げるのではないでしょうか。

現在開催中の企画展より、弥九郎の叔母の話を聞いて哀しむマン (個人蔵 画:石川愛氏)

 弥九郎の叔母さんは、どうして急にこんなことを言い出して弥九郎とマンの関係に水を差してくれたのでしょうか…。賢くて働き者のマンがそんなことするわけがないんですから、「生き物を千匹~」という出所不明の噂話なんて気にせず一緒に暮らして欲しかったというのが正直な感想です。

 ところで、皆さんは弥九郎ではなく弥「十」郎の話はご存じでしょうか。私は今回、ニホンオオカミと紀州犬について調べていて初めてこの話を知りました。以下に、和歌山県の下北山村に伝わる『弥十郎とオオカミ』のあらすじを紹介します。

元禄の頃、下北山村の上桑原の里に神林弥十郎という人がいました。ある日弥十郎が山仕事をしていると、生まれて間もない可愛らしいオオカミの子を見つけました。弥十郎はこのオオカミの子を家に連れ帰り、山で狩りをする時や川で魚を捕る時は勿論、外出の時も連れ歩き、とても大切に育てました。

ある夏の夕暮れ時、夜の鮎漁の為に川辺で焚火して仮眠をとっていた弥十郎は、異様な物音で目を覚ましました。音のする方に目を向けると、連れてきていたオオカミが身体を川の水に濡らしては焚火の側で身震いをし、火を消そうとしているのが目に入りました。どうも怪しいと感じた弥十郎は、オオカミが川の方に行っているうちに、自分が寝ていた場所に着物と魚籠で作った偽物を置くと、近くの木に登ってオオカミの様子を窺うことにしました。やがてオオカミは、焚火が完全に消えたことを確認すると、恐ろしい形相で弥十郎の着物を掛けた魚籠に食らいつきました。これを見た弥十郎は、怒り心頭のままオオカミの頭部を狙って火縄銃を発砲し、オオカミを殺してしまいました。

それから間もなくして、弥十郎を含めた神林家の人間が一人残らず病に倒れ、村中でも伝染病が蔓延し始めました。相談を受けた易者が「災難から脱するためには、山の神であるオオカミの霊を慰める他ない」と断言した為、直ちに村人によって山の神を祀った祭典が行われました。すると、ほどなくして弥十郎一家をはじめとした村中の病人は全快しました。

土地の言い伝えによると、オオカミは獲物を999匹仕留めると、1000匹目に人間を襲うとされていたそうです。このオオカミは、弥十郎の鮎漁について行く直前に999匹の獲物を仕留めてしまっていたのではと言われています。

 1000匹目か1001匹目かという誤差はあるものの、「オオカミは生き物を千匹食うと次は飼い主を襲う」という弥九郎の叔母さんの話に急に信憑性が出てきてしまいました。まさかソースのある話だったとは…。というのも、こちら単なる昔話ではなく、下北山村にはこのオオカミを祀った社が残っているのです。私も見てきました。

下北山村の川辺神社(川邊社)

 このような話が残っていたと考えると、弥九郎の叔母の心情も理解できる気がします。甥っ子がオオカミの子と一緒に毎日のように狩りをしているという話を聞いたら、気が気ではないですよね。
 実は、こういった「生き物を1000匹狩ると…」という言い伝えは、西日本を中心に様々な地域で語られています。九州や四国地方では、1000匹の鳥獣を狩った猟師は、「千匹塚」という供養塔を立ててその霊を慰めるという風習もありました。いただいた命に敬意を払うという考えが地域に根付いていたのでしょう。
 オオカミや猟犬と、人間の生活が密接であった時代に生まれ、今なお地域で語り継がれているこれらの物語は、私たちに自然と人間の関わりについて考えるきっかけを与えてくれる大切な文化であると感じます。
 企画展「ニホンオオカミの記憶 紀州犬の今」は、今週末の11月30日までの展示期間となっています。11月22日からは、伊勢市の神宮徴古館・農業館所蔵のニホンオオカミの頭骨を期間限定で展示しております。是非この機会にご覧ください。

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