大皇神社

2023年11月30日

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 大紀町崎の大皇神社に行ってきました。熊野古道伊勢路沿いにありますが社殿まで少し距離があるので、時間がないと通りすぎてしまうかもしれません。

 惟喬親王(これたかしんのう)を祀る神社です。由緒書によると、惟喬親王はこの里にやってきて現在の社地に住居され、里の人々に木地師(きじし)の技術を教えられ、程なく京都へ帰られました。その後、承久2(1220)年に親王の寵臣小椋中納言実秀の後裔である小椋助之丞が、親王の御分霊を近江国君ケ畑(きみがはた)から奉持しお祀りしたといいます。
 惟喬親王とは、9世紀の人物で、文徳天皇(もんとくてんのう)の第一皇子です。第一皇子にもかかわらず、母が藤原氏ではなく紀氏であったため皇太子になれず、29歳で出家します。その後比叡山麓に隠棲し、54歳で亡くなりました。
 悲劇的な人生を歩んだ惟喬親王ですが、惟喬親王は木地師(ロクロを使って木工品を作る職人たち)の祖であるという伝説があります。近江国小椋谷(おぐらだに)に隠棲した惟喬親王は、ロクロの技術を地元の人々に伝え、そこから日本全国に広まったというものです。惟喬親王と木地師の伝承は日本各地にありますが、この地もその一つといえます。

 また、大皇神社には道標があるとのことだったので、今回は道標も見てきました。元はもっと大きかったと思われます。現在残っている部分には「左いせ」と書いてあります。この他に文字は肉眼では確認できませんでした。

「左いせ」とあります。「せ」の下は「道」と続きそうです。

 この道標がある場所は特に分かれ道はないため、どこかから移動されてきたものと考えられます。それが熊野街道沿いか、それとも他の場所か、「左いせ」という文字だけでは判断がつきません。道路工事か何かで移動したのかもしれませんが、人目につくところに移動していただいてありがたいです。

 以上、大皇神社についてでした。お読みいただきありがとうございます。

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