尾呂志神社

2023年9月16日

令和5年10月28日(土)から始まる、企画展「尾呂志と尾呂志神社」の取材を進めています。
その中で、興味深いことがわかってきましたのでお知らせしたいと思います。

尾呂志神社本殿

尾呂志神社本殿のしめ縄の上にかけられている「社神志呂尾」と書いてある扁額(へんがく)を見ると、「社」の文字の左側に「正二位伯爵通禧書(しょうにいはくしゃくみちとみしょ)」とあります。

尾呂志神社本殿扁額

この扁額は、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)という人によって書かれたものです。あまりピンとこないお名前かもしれませんが、実はこの方は、幕末の頃尊王攘夷派の公家で、蛤御門(禁門)の変で失脚し、長州藩士とともに長州へ落ちのびた「七卿落ち」の一人で、後に太宰府へ行き、その際に「薩長同盟」についてお願いに来た坂本龍馬とも面会しているそうです。王政復古の後は、明治政府の要職を歴任した公家であり政治家でした。

なぜ、そのような方が尾呂志神社の扁額を書くに至ったのか。その理由はあと二人の人物がかかわっていたと思われます。「洋装の土方歳三」の写真で有名な熊野市出身の写真家田本研造と熊野一帯では絶大な信用を得ていた尾呂志の酒屋東家です。東久世伯と田本研造、田本研造と東家がお互いに懇意にしており、明治時代に尾呂志の神社を合祀して、できたばかりの尾呂志神社の扁額の題字を、東久世伯が巡見に来られた際三人の関係からお願いしたのではないかと思われます。

取材の中で、歴史上の有名人が登場すると本当にわくわくします。
これらの取材をもとに企画展の準備を進めています。興味がありましたらご来館ください。

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