知られざる熊野探訪ツアー「近代の遺跡探検 元盛松を訪ねる」に行ってきました。

2024年3月6日

 延期していた 知られざる熊野探訪ツアー「近代の遺跡探検 元盛松を訪ねる」を3月2日(土)に開催しました。

朝9時三木浦奥の駐車場に集合し出発です。

30分ほど歩くと炭焼き窯があり、天井が残っていて住めそうなほど大きいです。そこから少し歩くと太地(ダージ)棚田に着きました。昔田んぼを作っていた事が想像できるくらい草刈りをしていただいていました。ちなみにこの棚田は盛松ではなく頼母(たのも)の方が耕作していたそうです。

棚田から少し入った所に太地浜があります。橋のない小川を渡りながら進みます。名前から想像できるかもしれませんが、鯨の追い込み漁をしていたそうです。解体もこの浜で行っていました。和歌山県の太地からも応援の方が来ていたそうです。

太地浜からだいぶ登ると林道に着きました。ここまでくると盛松はもうすぐです。

盛松までの道中には1か所絶景ポイントがあります。右のような写真を撮る事が出来ます。盛松ブルーです。

さていよいよ、昔小学生が運動していた「運動場跡」の広場に到着しました。ここから盛松の集落に下っていきます。

実は左の写真は写っている範囲のほとんどは集落の跡です。右はガイドの弓削氏が解説をしてくれているところです。いくつか集落内の写真をあげます。

石材で構成された集落がここまで保存状態が良く残されているところはかなり珍しく、大変貴重です。右下の写真は盛松の海岸でごろた浜と言います。近くに鏡神社の基壇がのこされています。

集落内の探検の最後は、海蔵寺跡です。海蔵寺は小学校1年生から3年生が勉強をしていました。寺子屋ですね。そして運動を先ほどの「運動場跡」で行っていたようで、跳び箱石もあります。そして右の写真が盛松の地名の由来となった松です。ほとんど朽ち果てようとしていますが、海からでも見えるほど立派で、幹が下がっているので「下松(さがりまつ)」という地名になりましたが、下がるは縁起が良くないので「盛松(さがりまつ)」に変更したそうです。

盛松集落の探検を終え、昼食後下段左の崖を下って柱状節理の絶景を見に行きました。本当にきれいな場所で、大きな柱状節理がそびえ立ち圧巻の風景です。 
その後、帰路につき近代の遺跡探検は終了しました。

今回の探訪ツアーは、探検や冒険の要素が多く楽しんでいただけたのではないかと思います。参加していただいた皆様、山道と盛松集落内を整備していただいた皆様、本当にありがとうございました。

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