令和5年10月14日(土)知られざる熊野探訪ツアー「桐原から矢ノ川へ 筏師の道をたどる」を開催しました。

2023年10月29日

イベントレポート

知られざる熊野探訪

案内人は、昨年度、トロトロ坂を歩くツアーでもガイドをしていただいた熊野古道語り部友の会幹事の清水鎮一さんです。

紀宝町桐原では、向井満男さんが桐原のことやかつての生活道(筏師も歩いた道)についてなどを説明してくださいました。また、地元の方が準備してくださった会場には、北山村観光協会よりお借りした筏師の道具も展示させていただきました。

筏師は2メートル以上もある櫂を担いで山道を歩いて帰っていたのだから、その体力に驚きですね。道路ができてからはタクシーに櫂を固定して運んだというお話を聞いたことがあります。便利になったことはうしいことですが、流筏の必要がなくなるということは、筏師の仕事がなくなるということなので、当時の筏師たちの心境が偲ばれます。

さて、桐原での講話の後は、御浜町片川へ移動し、いよいよ山道を歩いて紀和町矢ノ川を目指します。片川に着くまでに雨が降り出し、バスを降りた所で雨具を装着しました。この近くには法医学者で文化勲章を受賞した古畑種基の先祖の墓や屋敷跡があります。歩き始めてすぐ、古畑家の屋敷跡があり、立派な石積みが残っていました。医者だった種基の父親が生まれた家です。

ここから桜茶屋跡を経て奥地集落跡まで約1時間、その道中にも集落跡があり、猪垣や棚田跡、屋敷跡、炭焼き窯跡など見どころがたくさんあります。

奥地集落の石道標が建つ場所で記念撮影をして、お昼休憩は桃太郎岩がある川を訪れました。

大きな岩が真っ二つに割れた状態で川の中に残っていて、ももたろうが生まれてきた桃を連想させる岩です。この辺りは、小さな滝や天然の滑り台があり、夏は家族連れでにぎわうというマユミノと呼ばれる場所です。

この下流に淵があり、昔、上流から流れてきたミノがこの淵で一日中舞っていたことが、「マユミノ」の名前の由来だと清水さんが教えてくれました。

昼食後は道標のあった分岐へ戻り、地蔵峠を目指して歩きました。田畑の間に造られた水路には今も変わらず水が流れていて、かつての営みが思い浮かびました。集落跡を通り抜けた場所には祠がありました。木に守られるように建つ祠の中には、自然石が祀られています。文字などは何も刻まれていませんが庚申様のようです。集落の人たちが大切に祀ってきた歴史を感じます。

集落を過ぎて20分ほどで地蔵峠(標高365m)に着きました。ここからは熊野市紀和町矢ノ川まで、標高差約230mをひたすら下ります。実はこの地蔵峠、11月26日に開催される「熊野古道トレイルランニングレース2023」のコースの一部にもなっていて、ロングコースに出場の選手が40キロもの距離を走ってきた後にこの坂を下っていきます。滑りそうになりながらゆっくり歩いているより、滑る前に走った方が安全にも思えてくる、そんな坂道です。

かつて矢倉神社があった場所からの下りはきれいな石段が残っています。矢ノ川の人たちが1年かけて積み上げた神社への参道です。苔むした道が続くこの美しい景観は、長い年月をかけてつくられたもので、これから先もずっと残してほしい風景です。現在の矢倉神社は国道沿いにあり、地域の人たちによって大切に守られています。高齢化が進む中でお参りに行くことが困難になることを予測して麓に遷宮された矢倉神社ですが、かつての参道を地域の人以外の人たちが歩いたり走ったりしているというところが面白いですね。かたちは変わっても利用する人がいて道が維持されるということを実感しました。

雨の中、十分な案内ができなかったことは残念ですが、参加者の皆様のご協力のおかげで事故や怪我もなく無事に開催することができました。

開催前の下見では、8月の台風7号の影響で倒木が十数本あり、道が見えないほど枝葉で覆われていましたが、10月に入り、尾鷲藪漕隊の助けをお借りし整備しました。たくさんの方のご協力により開催できたことに感謝し、今後も東紀州地域の魅力を発信できるようなイベントを多く企画していきたいと感じました。ご興味のあるイベントがあればぜひご参加ください。

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