ほたるそう

2025年4月24日

企画展の見どころ

 4月19日から、企画展「本草学者がみた熊野」が始まりました。本草学とは薬用となる植物・動物・鉱物などを研究する学問で、江戸時代に盛んになりました。次第に人の役に立つ動植物だけに限らず、自然界にあるあらゆるものを研究するようになりました。「本草学」から「博物学」、そして「植物学」「動物学」などに広がっていったのです。

 今回のスタッフブログでは、ポスター・チラシなどで使用している『桃洞遺筆』の「ほたるさう(以下「ほたるそう」と表記)」を紹介します。

某画像編集ソフトで切り抜きました。
表紙です。

 『桃洞遺筆』は和歌山の本草学者・小原桃洞の遺作集です。孫の小原蘭峡が編集しました。「ほたるそう」は展示中の「アシカ」の絵と同じ巻にあるため、今回の企画展では展示していません。ページ替えするかもしれませんが、アシカがインパクト強いので替えないつもりです。

アシカ。個人的感想ですが、このイラストだとあまりかわいくないな…と思っています。個人的な感想です。

 「ほたるそう」は本文に「蛍カヅラともいふ」「瑠理色の花を開く」とあることから、「ホタルカズラ」を指すとみられます。きれいな青い花を咲かせます。

 イラストの右上には「翠梅草」とあり、ふりがなは「ほたるさう(ほたるそう)」と書いてあります。しかし、調べてみると「ほたるそう」は当時も現在も、普通は「翠梅草」とは書かないようです。では桃洞はなぜ「翠梅草」を「ほたるさう(ほたるそう)」と当てたのか、その理由が本文に書いてあります。

 桃洞によると、「ほたるそう」は漢名(中国での名前)がわかりませんでしたが、『花卉百種』という本を見ていたところ、「ほたるそう」の図があったといいます。そこには「翠梅(すいばい)」と書いてありました。そのため、「翠梅草」を「ほたるそう」としたようです。

 これに編集者である孫の蘭峡の注釈が続きます。『花卉百種』という本は、官庫(紀州藩の書庫か何かだと思います)にはわずか1冊しかなく、この本は花や草100種の図を集めたものでした。全てに彩色があり、本来の花草の姿に迫ったものだといいます。しかし、はしがきやあとがきなどがなく、絵を描いたのが誰かわかりませんでした。そこで、先年、紀州藩の画家である野呂介石に見せたところ、中国の明(みん)の時代の人だろうと言われたとのことです。

 野呂介石は紀州藩の代表的な画家で、那智の滝の絵で有名です。熊野をはじめ大台ヶ原にも登り、様々な山水図を描きました。当時の絵画の第一人者ともいえる人物です。蘭峡は、そのような人に頼んで絵の作者を探ろうとしたようです。『花卉百種』とは一体どのような本だったのか、全てに彩色があるということからもかなり豪華な本だったと思いますが詳細はわかりません。当時も1冊しかなかったことから、貴重な本だったのでしょう。貴重本がある官庫に蘭峡は出入りできたようです。このように貴重本があることや、そこに本草学者が容易にアクセスできるという環境が、紀州藩の本草学の研究を後押ししたともいえると思います。

以上、ほたるそうについてでした。お読みいただきありがとうございました。

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