鬼ヶ城の話

2024年1月13日

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 今日は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部に登録されている、熊野市木本町の「鬼ヶ城」について書きたいと思います!熊野灘の荒波によって削られた、迫力のある奇岩がお馴染みのスポットですね。

 『熊野市誌』によると、鬼ヶ城が観光地として注目され始めたのは大正の終わりごろだそうです。この頃、政府は国立公園の設置計画を立てており、日本各地の景勝地に注目が集まっていました。木本町でも、地元の絶景を世間に広めていきたいと、鬼ヶ城や獅子岩などの写真を使った絵葉書が売り出されます。昭和2年、観光事業促進のために「南紀保勝会」という組織が設立され、木本周辺の絶景を詠んだ『木本節』も発表されました。
 更に、その年の4月、大阪新聞社が企画した『日本新八景選定』に木本町民は大いに盛り上がります。全国各地の自慢の景勝地をハガキ投票によって選ぶというもので、木本は町をあげて鬼ヶ城を投票しました。木本町の戸数が1,000程度であったこの時代に115万以上の票を獲得し、鬼ヶ城は海岸部門で全国第8位となりました。残念ながら日本新八景には選ばれませんでしたが、同時に設けられた「日本新百景」に入選し、町民はこの熱気の赴くまま鬼ヶ城の回遊路約600mを僅か三日半で整備しました。木本の人達の地元への熱い思いを感じるエピソードですよね。
 その後発足した「木本保勝会」によって、鬼ヶ城はパンフレットでの宣伝や道路整備が進められ、昭和11年には吉野熊野国立公園の一部に指定されました。

現在の遊歩道

 ちなみに、現在鬼ヶ城といえば東の鬼ヶ城センター方面から少し歩いて千畳敷へ到達するのが一般的ですが、木本隧道が通っていなかった大正時代は、西側の木本脇の浜から鬼が城を見物していたそうです。

犬戻り猿戻り

 パネル展「知っている場所はありますか?東紀州みどころ百選!」にて紹介しましたこちらの写真は、鬼ヶ城の「犬戻り猿戻り」と呼ばれている地点です。鉄製の手すりが付いている現在の遊歩道の下に岩を削ったような階段が見えます。昔は、このすぐ近くまで波が打ち寄せる岩壁沿いを歩いて千畳敷に到達していたそうです。犬も猿も進むのを諦めて戻ってしまうというネーミングにも納得ですね。鬼ヶ城に行った際には、是非注目してみてください♪

 今回のブログでは、鬼ヶ城について書かせていただきました!遊歩道が整備されている現在も、サンダルやヒールは危ないので、歩きやすい靴で行ってくださいね。それでは、また次回のブログでお会いしましょう!

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