熊野市飛鳥町は、紀伊半島南東部の山間に位置する総面積52.83㎢、人口1000人余り、町のほぼ全域が大又川沿いにある自然が美しい山郷です。江戸時代、紀伊国和歌山藩の支配下であった大又村・小又村・小阪村・佐渡村・神山村・野口村の6ヶ村が1889年4月に施行された町村制により飛鳥村として発足、その後、1954年11月に 木本町・荒坂村・新鹿村・泊村・有井村・神川村・五郷村との町村合併により熊野市の一部となり、飛鳥村は新たに飛鳥町となりました。 飛鳥町及び周辺地域は古くよりスギ・ヒノキの林業が盛んな地域で、江戸時代初期では、紀州藩がスギやヒノキ植林の他に木炭・林産品などの製造や販売に力を注ぐために当地域にも「御仕入方役所」が設置されていました。また、豊富な森林資源から木地師が盛んに活動した地域として知られ、地元の寺院には美しい高坏が残されています。 飛鳥神社は当地域周辺に複数存在し、すべて新宮市の阿須賀神社に縁のある神社とされています。当飛鳥神社(小阪飛鳥神社)は五郷町寺谷の飛鳥神社(寺谷飛鳥神社)より勧請されたのが始まりとされ、創建時期は不詳ですが、寺谷飛鳥神社に所蔵される寛文4年の由緒書状文書などから、江戸時代以前の草創であると推定されます。境内からは弥生時代以前の土器が出土していることから境内地は、当神社鎮座以前も重要な祭祀場所であったことも考えられています。また、社叢全体が熊野市天然記念物に指定された境内には杉の巨木が立ち並び、中でも四本杉と呼ばれる御神木は、樹齢1300年以上といわれ、神社境内の歴史の深さを物語っています。 当展では、飛鳥神社で毎年6月に行われる四本杉祭りと11月に行われる例大祭に焦点をあて、祭りの中で使用される神輿・神楽道具などの実物展示や開催内容のパネル展示などに加え、飛鳥神社の由緒や成り立ち、飛鳥町の地勢や見どころ、慣習などについても、パネルや映像で紹介いたします。 <付属事業> 飛鳥神社宮司による講演会を開催 ※講演会演題「飛鳥神社のお祭り」 開催日時:令和4年12月18日(日)午後1時半~3時まで 入 場 料:無料 定 員:40名 講 師:西村勇三氏(飛鳥神社宮司) 開催場所:展示棟 映像ホール 受付期間:~令和4年12月17日(土) ※展示概要及び展示の様子は次ページより紹介しています。 飛鳥町・飛鳥神社とは 熊野市飛鳥町は、紀伊半島南東部の山間に位置する総面積52.83㎞ 、人口1000人余り。町のほぼ全域が大又川沿いにある自然豊かな山郷である。江戸時代、紀伊国和歌山藩の支配下であった大又村・小又村・小阪村・佐渡村・神山村・野口村の6ヶ村が1889年4月に施行された町村制により飛鳥村として発足、その後、1954年11月に 木本町・荒坂村・新鹿村・泊村・有井村・神川村・五郷村との町村合併により熊野市の一部となり飛鳥村は新たに飛鳥町となった。 飛鳥町を含む熊野市地域は国内有数の森林地帯で、古くよりスギ・ヒノキの植林による林業が盛んな地域である。特に江戸時代初期、紀州藩が植林の他に木炭や林産品などの製造や販売に力を注ぐために設置した御仕入方制度により、当地域にも「御仕入方役所」が設置されていた。(※熊野市地域に5ヶ所) また、当地域は木地師(深山高所の山に分け入り、ワン・高坏・杓子などを作る職人で活動範囲を一ヶ所に限定せずに日本各地を移動していた)が盛んに活動した地域として知られ、地元の寺院に美しい高坏などが残されている。 飛鳥神社(小阪飛鳥神社)は五郷町に鎮座する寺谷飛鳥神社より勧請されたのが始まりとされる。 創建時期は不詳であるが、寺谷飛鳥神社に所蔵される古記や幕府の諸社弥宜神主諸法度の施行時期などから江戸時代以前の草創であると推定される。 飛鳥神社社叢は全体が熊野市天然記念物に指定されている。(昭和44年)境内には杉の巨木が立ち並び、中でも四本杉と呼ばれる御神木は樹齢1300年以上にも及ぶとされ、神社境内地の歴史の深さを物語っている。 飛鳥神社例大祭 飛鳥神社例大祭は毎年11月3日文化の日に開催される。飛鳥町は大又・小又・小阪・佐渡・神山・野口の6地区から成っており、それぞれの区の祷屋に供えられた御神物「御幣」を飛鳥神社に奉納し、神恩感謝の祝詞を捧げるお祭りである。神事においては、修祓、社殿開扉に始まり、納幣の儀(この儀式で各区の御幣が奉納される)、宮司による祝詞奏上、玉串の奉奠が厳かに行われ、続いて、神楽の獅子舞や浦安の舞が華やかに奉納される。例年は、余興として子供神輿や割りばし神輿(飛鳥町独自考案の神輿)の渡御や餅まきなどが行われ、神社前は出店で賑わうが、近年ではコロナ感染症防止により、神事のみでの開催が続いている。 尚、こども神輿、割りばし神輿渡御は、近年の担ぎ手不足などから、催行が困難になっており、特に割りばし神輿は2013年度を最後に行われていない。とても貴重かつユニークな形態の神輿であり、飛鳥町の産業を興隆してきたシンボルでもあることから神輿渡御復興が望まれるところである。 〇割り箸神輿 飛鳥町内の「飛鳥青年会議」が考案した御神輿。「割りばし」をモチーフとしたのは、当時に栄えていた割り箸工場からの発想で、町内での林産業の興隆を願って考案された。巨大な割り箸が象られており、御幣や酒樽とともにその年の祷屋主が神輿に載せられて町内を練り歩く。 展示した神輿は2代目にあたり全長400㎝、先代より80㎝ほど短く作られている。なお、先代の「割りばし」の全長は480㎝で「幸せ」の語呂合わせがなされたともいわれている。 割り箸神輿は2013年頃までは担がれていたが、年々担ぎ手が減り、近年では残念ながら中止されている。 〇こども神輿 こども神輿も例大祭を大いに盛り上げる行事の一つで、割り箸神輿と共に子供達が担いで町を練り歩く。しかし、近年、地区の子供達の減少やコロナ感染症防止から中止される傾向にある。 神輿本体は、先代は酒樽と「五穀豊穣・商売繁昌・家内和楽・交通安全・林業興隆」と書かれた木板が掲げられたものであったが、近年では屋根の付いた神輿に替わっている。 御神楽・西浦の舞 〇四本杉 飛鳥神社境内の奥には、御神木である大杉、四本杉がそびえる。この杉は樹齢1300年以上、胸高周囲は約9mにも及び、南郡随一の巨木である。四ツ又に分かれた幹には、祓戸四注神(瀬織津姫・速開津姫・気吹戸主・速佐須良姫)がそれぞれ宿るとされ、人々の罪穢を祓い清めていただけることから、病気平癒、健康長寿に御利益があり、家庭円満・商売繁盛の守り神として崇拝されている。 〇四本杉祭り 飛鳥神社総代会が中心となり、周辺地域に高齢者が増える中、古来より長寿のご利益がある「四本杉」の御前で、健康的な老後を祈願するために同祭を開催することになったもので、2013年より6月第1日曜日に開催されるようになった祭りである。 例年であると、神事の後にけん玉競争や子供太鼓、ジャジャツク太鼓、ソーラン踊り、ダンス、空手演武などの余興も同日に開催されるが、近年はコロナ感染症予防から神事のみの開催としている。 例年、午前9時より長寿祝参拝者・来賓客等の受付が始まり、戦没者慰霊祭(主催:飛鳥地区遺族会)の後に、神事が開催される。 展示の様子 御神楽 獅子頭 子ども神輿(近年版) 割り箸神輿(2代目) 御幣 装束 御神楽道具