曽根の首なし地蔵

2023年9月19日

その他

 9月2日より企画展「伊勢路の石仏と道標」を開催中です。今回は企画展では取り上げられなかった石仏をご紹介します。

 尾鷲市曽根町の「曽根の首なし地蔵」です。現在は国道311号線沿いに祀られていますが、元々は熊野街道(熊野古道伊勢路)沿いにありました。江戸時代の伊勢路は、現在のJR賀田駅付近を通っていました。賀田駅の工事が始まり、首なし地蔵が元々祀られていた場所も賀田駅構内となってしまい、現在の場所に移転したそうです。現在の曽根周辺の伊勢路は、国道311号から曽根の町中へ入っていくため、見落としてしまうかもしれません。右へ曲がる表示があるところを曲がらず、少しだけまっすぐ行くとすぐです(飛鳥神社よりも手前)。時間に余裕があればぜひお参りしてください。

 首の部分にのせられている石は、おそらく後世の人がのせたものだと思います。いつ頃から首がなくなったのか不明ですが、江戸時代の終わり頃にはすでに首がなかったと伝わっています。首から上の病気が治るといわれ、特に頭痛、耳や目が悪い人などが信仰したといいます。

 首がないと、なんとなく怖いイメージや罰当たりだと思うかもしれません。しかし、実際のところ首の部分は折れやすいため、月日が経つにつれ風化して、首が折れてしまったという場合もあると思います。また、「首がない」=「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」ととらえがちですが、それだけではなくもっと多様な理由や言い伝えがあるようです。

※廃仏毀釈…明治新政府による神仏分離政策に基づいて行われた仏教排斥運動。お寺や仏像の破壊行為などが行われました。地域差があり、例えば伊勢神宮のある宇治と山田では特に激しかったといわれます。

 曽根の首なし地蔵の首がなぜなくなってしまったのかはわかりませんが、江戸時代にはなかったという言い伝えもあることから、明治時代の廃仏毀釈によるものではないと思います。  

 以上、曽根の首なし地蔵についてでした。

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