瀞峡の絵葉書

2024年1月18日

その他

 休みの日に古書店を訪れたところ、古い絵葉書がたくさん売られていたため、個人的に何枚か買ってきました。東紀州の景観の絵葉書を探しましたがなかなか見つけられず、唯一、瀞峡の絵葉書を2枚見つけました。
 瀞峡は三重県・和歌山県・奈良県を流れる北山川上流部にある渓谷で、吉野熊野国立公園の一部です。瀞峡下流部は「瀞八丁」として知られます。

 まず1枚目です。

 1枚目には以下のような文章が書いてあります。旧字は新字に改めています。

「瀞峡勝景  Fine Views of Dorokyo.
瀞峡は四季を通じて眺が佳い(よい)。春の淡雪が解け始める頃から梅、桃、山桜の花が樹間に隠見し、五月頃にはツツジ、石楠花、空木等深山に美しい粧ひ(よそおい)を凝らし亦(また)他では味はれぬほとゝぎすの哀韻をきくことが出来る、やがて河鹿の声に逝く夏を知る頃紅葉の瀞が映し出され錦繡一たび去ると初雪を見、全山霧に包まれ幽邃(ゆうすい)神秘の境が展開さる。」

 続いて2枚目です。

 2枚目には「DOROKYO GORGE, KUMANO NATIONAL PARK. 瀞峡・夫婦岩附近 熊野国立公園」と書いてあります。ここでは「吉野熊野国立公園」ではなく「熊野国立公園」となっています。

 この瀞峡の絵葉書は何枚かセットで売られていたものの一部であると思われます。いつ頃のものか、詳しくはわかりませんが、大まかに推定する方法があるようです。以下のサイトを参考にしています。

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000290979

これによると、絵葉書の宛名面から年代を推定できるようです。

①明治33~40(1900~1907)年:宛名面に線がなく、私信をこの面に書くことが禁じられていた時期のもの
※明治33年は私製はがきが使用認可された年。
②明治40~大正7(1907~1918)年:宛名面の三分の一に線が引かれ、私信を書くスペースができたもの
③大正7(1918)年以降:宛名面の二分の一に線が引かれ、私信を書くスペースが更に広がった時期のもの
④昭和8(1933)年以降:「きかは便郵」から「きがは便郵」へと上部の表記が変更になった

 おおまかに4つの年代に分けられます。今回の絵葉書の宛名面を見てみると、2枚とも私信のスペースは二分の一となっています。よってどちらも③大正7(1918)年以降のものだとわかります。より詳しく見ていくと、1枚目の絵葉書は上部の表記が「きがは便郵」となっているため、④昭和8(1933)年以降のものとなります(~終戦まで)。そして2枚目の絵葉書は、上部の表記が左から右に「郵便はがき」となっているため、戦後とみられます。似たような雰囲気の絵葉書ですが、2枚目の方が新しいようです。

 建物や街並みの絵葉書であればもう少し年代を推定できそうですが、自然の景観だとなかなか難しいですね。

 以上、瀞峡の古い絵葉書についてでした。お読みいただきありがとうございました。

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