熊野大橋の話

2024年3月8日

その他

三重県と和歌山県を分ける熊野川に架かる「新熊野大橋」。
そのすぐ隣、河口側にある橋が「熊野大橋(旧熊野大橋)」です。
昭和10年にこの橋が開通するまで、付近の住民は渡し舟で熊野川を渡っていました。

なかなか珍しい下からの熊野大橋。左に見えているのが新熊野大橋です。

昭和8年5月20日に新宮市横町河原にて架橋の起工式が盛大に行われ、三重・和歌山の両県から知事はじめ三百名余りが参列しました。
当時の和歌山県知事は祝辞にて「そもそも本路線は古くからいわゆる熊野街道と称せられ、三重、和歌山両県を連貫する唯一の重要幹線として交通上、はたまた観光上極めて要路をなすにもかかわらず、今なお渡船にて交通しつつある、一朝出水にあわんか交通途絶に陥る。地方産業と文化の親展を妨ぐること甚大にして遺憾少なからず、これが架橋は両県多年の宿願なり」と語っています。
そのような重要なルートでありながら、なかなか橋が架からなかったのは、その工事の難しさに加えて三重県と和歌山県の県境であるということも関係していたようです。

三重と和歌山の両県にまたがる為、公費の負担割合や設計の調整は内務省道路課長の調停によって決められました。
設計の面では、明治22年に起こった水害と同規模の水害でも通行できる高さにすること、流木が掛からないよう橋脚の間隔を広くすることなどが考慮されました。
工事の担当は橋の上下で分けられ、抽選によって和歌山県が基礎を、三重県が上部の工事を担当することが決定しました。
更に、工事請負人・材料配給人など、作業に関わる人数は両県同数とすることなども細かく決められたそうです。
両県の負担をなるべく同程度にしようということですね。
開通当時は現在のような三重県側から和歌山県側への一方通行ではなく、対面通行で車が行き来していました。
また、熊野大橋の架橋において活躍したのが河口周辺にあった渡し舟であり、工事の作業員を乗せて対岸を行き来していたそうです。

今回のブログでは、熊野川に架かる熊野大橋について書きました。
今年の秋には、新たに熊野川に架かる「熊野川河口大橋」を含む高速道路「新宮紀宝道路」が開通予定となっています。
新熊野大橋は平日でも混雑しがちでしたが、新しい橋が架かることで緩和されそうです。楽しみですね!

参考:『紀宝町誌』(紀宝町誌編纂委員会)、『文化財を訪ねて』(紀宝町教育委員会)

T

〈 一覧に戻る